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語りにおける複合過去に関する一考察 |
安西記世子著 |
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コピュラ文をめぐる名詞句の意味論と語用論 |
井元秀剛著 |
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述語否定による緩叙法的発話 |
大久保朝憲著 |
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古フランス語における物語的現在と半過去についての序章 |
春木仁孝著 |
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意味形態論的見地より見た言語本質観 |
細谷行輝著 |
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ラテン語の時の副詞節における法・時制・アスペクト形式 : vulgataと古典ラテン語との比較 |
三藤博著 |
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Tocharian words with -wer |
Masafumi Yasunaga著 |
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日中人名命名法の比較に関する一考察 : 祖名の継承と祖名の回避 |
王愛静著 |
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コミュニケーションの構図 : 傾きのあるyes-no疑問をめぐって |
沖田知子著 |
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英語教育における「フランス語」の排斥 : フランス語とフランス人の同一性 |
仲潔著 |
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授業報告講義「ことばと文化・フランス語」が目指すもの : 理解を助ける質問をどう準備するか |
中村啓佑著 |
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台湾社会における日本語の位置づけ : 帝国日本と中華民国台湾の言語政策からの一考察 |
藤井久美子著 |
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映画の比喩と象徴 : ジャン・ミトリ『映画の美学と心理学』における隠喩をめぐる問題 |
池田淑子著 |
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『モスラ』における楽園幻想の系譜 : ボードレール・ゴーギャン・福永武彦 |
北村卓著 |
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ケータイされる「物語」 : 携帯電話における写真 |
小池隆太著 |
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東京ディズニーランド : 消費されるノスタルジー |
関口英里著 |
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「薬補不如食補」 : 食俗諺にみる現代中国の医食同源 : 1980年以後の『大衆医学』をめぐって |
張文碧著 |
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バルザック『無神論者のミサ』の「謎」の構造 |
柏木隆雄著 |
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『カルメン』と虚構の力について : 外的読解 |
粕谷祐己著 |
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Remarques sur la localisation géographique de Balbec dans À la Recherche du Temps perdu |
Shinya Kawamoto著 |
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『アクセル』試論 |
小西博子著 |
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憂いをこめて咲くオダマキの花再考 |
阪村圭英子著 |
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『狭き門』の謎 |
立川信子著 |
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『エセー』の《bonne foi》に関する一考察 |
徳永雅著 |
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E.-L.-N.ヴィオレ=ル=デュックの『計木詩法』 (La métroxylotechnie)について |
岩根久著 |
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西アフリカ、2つの生い立ち |
中山千冬著 |
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「グリセルダ物語」再考 : Anthoine Vérardの出版戦略をめぐって |
平手友彦著 |
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鄭孝胥氏の有馬雑詩 |
深澤一幸著 |
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《現実性》の文学と《非現実性》の文学 : ナチス占領下のヴェルコールとコクトー |
松田和之著 |
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ジャン・ジオノの「自然」 : 環境文学の誕生 |
和田章男著 |
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フロベールの演劇活動と『イエッダ』 : 19世紀末のフランスの舞台に観る日本趣味 |
柏木加代子著 |
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古代ローマ演劇の起源をめぐって : Valerius Maximusの場合 |
木村健治著 |
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ネルヴァルとセレスタン・ナントゥイユ |
小林宣之著 |
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ジョルジュ・サンドと肖像画 |
高岡尚子著 |
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Mélodieにおける声に出されたもの/書かれたもの |
中村順子著 |
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ギリシア神話は人間の病気をどう考えていたか |
上村くにこ著 |
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モザイクから生まれたテクスト : 『アミアンの聖書』序文とプルーストノラスキン観の変遷 |
加藤靖恵著 |
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シベルあるいはキュベレーをめぐって |
金崎春幸著 |
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モーセが荒れ野で蛇を上げたように : モーリャック『蝮の絡み合い』に見るルイの回心 |
長谷川富子著 |
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ディアーヌとデポルト |
濱田明著 |
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メランコリーの妙薬、hobbyhorse : 漱石・リチャードソン・スターン |
仙葉豊著 |
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パスカルと実験 : 復元実験からみた真空中の真空実験の意義 |
武田裕紀著 |
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性倒錯と詩 : 法医学者タルデューの読者、ロートレアモン |
寺本成彦著 |
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パスカルの計算機と『パンセ』 |
永瀬春男著 |